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一人の父を見送って

先日、義父が亡くなりました。

約12年前から敷地内に同居させてもらっていますので、義父とはとても近しい間柄です。

(以降、義父を「父」と表記します)

敷地内同居を始めた時分、既に父の足は弱っていたので、すぐに私が飼い犬の散歩を代わるようになりました。

また町内の役なども、すぐに私が代わりました。

旅行などに出かけた際は、皆で身体を支えたり、車椅子を押したりしておりました。

そうしていく中で年々、父の身体の不自由さが増していることを目の当たりにしていました。

 

今年4月初旬にも、近場に旅行に出かけました。

旅行の計画を立てる際は、バリアフリーの設備やお風呂に入ることが可能かといった観点で宿探しをするので毎回苦労しましたが、今年も皆の介助により温泉に入ることができ、良い思い出となりました。

ただ、これが最後の旅行になるとは思ってはいなかった為、介助に注力しすぎて写真をあまり撮れなかったことは心残りです。

 

5月下旬から6月初旬、父の様子がおかしいと義母や義姉から聞くようになりました。

(以降、義母を「母」と表記します)

ある朝、「オムツを替えることを嫌がってるから手助けしてほしい」と母から手助けを求められ、まずは妻が向かいの実家に行きました。

しかし、なかなか戻って来ないので私も行ってみると、何か口論しているような様子。

見ると父がオムツを替えられることを嫌がって、母と妻に抵抗していました。

見かねた私はまずは父をなだめ落ち着かせることが先と考え、父の肩に手を触れ、顔を少し近づけ、穏やかに声をかけました。

すると抵抗がなくなり、その場はおさまりました。

 

しかし近頃、目線や言動に異変を感じることもあり、また義姉のすすめもあって、後日母が病院に連れていくことになりました。

その時点では、父は自分の力で立つこともできましたし、会話も出来ましたので、病院には私達は付き添いませんでした。

しかし、病院で診察を受けた結果、脳梗塞と診断され、すぐに入院することになったのです。

入院が決まったのなら、あとは回復を願うだけと考えていたのですが、それは安易でした。

 

脳梗塞の為に認知機能が落ちた父には、入院が急に決まったことがあまり理解できず不機嫌になっており、病院で施される処置に対して抵抗していると聞かされました。

その為、動けないようにベルトで身体を拘束され、何か処置をする際には何人もの看護師さんの手を煩わせていると聞きました。

数日前に見た父の様子からすれば、処置をしようとする方達を困らせていることは、想像できました。

コロナ対策により家族の付き添いが全くできなかったことが残念です。家族が寄り添う時間が十分にあれば、もう少し良い経過を過ごせたのではないかと思っています。

 

主治医のご説明によると、特に治療処置は施せないとことでした。

また、本人が食べることを拒否している為、このままお看取りになりそうという説明を受けました。

又、本人が大声を出す為に個室にするしかなく、ベットから落ちて怪我をしてはいけないので、拘束ベルトは外せないとのことでした。

 

それから一月半が経ち、別の病院に移動することになりました。

食べ物は少しずつ食べるようになったものの、声を出すことなどは変わっておらず、移動先でもまた一人部屋へ。

前の病院では週に一度15分程度、母との面談が許されていたのですが、今度はさらにルールが厳しく、週に一度モニター越しで母と対話するのみとなりました。

家族の付き添いを一切受けることもなく、ベットに固定されたまま、一人部屋から誰かを呼び続ける父を想像するしかありませんでした。

 

また数ヶ月が経ち、病院の方から個室から4人部屋に移せるという連絡がありました。

理由は「もうほとんど声を出さなくなった」からです。

声を出す力も食べる力もなくなり、わずかな流動食と点滴で生きるのみ。

ただ一日中天井を見つめる父に回復など見込めるはずもなく。

 

毎週母から様子は聞いていましたが、随分と痩せ、いつも苦しそうな顔をしていると聞きもう長くはないことを悟りました。

6ヶ月もの間、子や孫とも他の誰とも対話することなく、静かに息を引き取りました。

 

半年前、自宅で父の肩に触れたとき、ほんの些細な言葉を交わしただけでしたが、まさかこれが最後になるとは、私には全く想像できませんでした。

生前の父は、よく病院に通う人でした。幼い時の中耳炎手術の失敗、平成15年に受けた脊柱管狭窄手術の失敗、その他諸々の症状があり、多い時では週3、4回。

当店の薬はあまり積極的には飲まず、夜眠れないと言っては病院で出された睡眠導入剤を飲み、ふらついて怪我をするといったこともありました。

 

また、足が不自由になった原因は、長年の仕事による負担や、本人の不摂生もありますがやはり手術の失敗が一番大きかったようです。

足が不自由にならなければ、まだ今も元気でいたと思いますし、そうでなくてもこれだけ長い間苦しまずにすんだと思います。

 

この続きは、ブログ「健康寿命を考える」に記載します。